◆北海道移住者の内容

 小樽商人のうち、北陸出身者は出身地の北陸地方から米や雑貨類を入れ、代わりに肥料用のニシン粕を運ぶことで海産物商売に手を染めた。新潟出身の高橋・板谷に早川両三や山本厚三の父久右衛門らが北陸系。これに対し加賀系の右近権左衛門、広海仁三郎、大家七平などは北前船時代から海運に関係していたが、本店を石川県に置いたままにして、小樽は支店だったから本当の意味での小樽商人とはいえない。

写真10・小樽に上陸した内地からの移民=北大図書所蔵

 明治初期に小樽港に船でやって来た移住者の模様を記録した写真が北大図書館に収蔵されている=写真10。小樽商人に限らず、道内への移住者の出身地別に分類した展示解説が北海道開拓記念館にある=表5。初期は北陸や四国からの移民が多かったが、次第に東北が上位を占めるようになった。明治31年1月24日発行の道庁殖民部拓殖課『明治29年来住戸口表』から作成したのが表6

1894-981905-091915-19
1石川8,695富山9,126青森11,079
2富山7,351新潟8,416宮城11,056
3新潟6,756宮城7,705秋田10,268
4青森5,988石川6,846新潟9,223
5福井5,629青森6,692青森11,079
6秋田4,804秋田6,433山形6,959
小計39,22345,21856,058
7岩手3,229岩手5,157福島6,686
8香川3,023山形5,003富山11,056
9山形2,630福島5,002石川10,268
10徳島2,448福井4,121東京9,223
11宮城1,947岐阜3,377岐阜11,079
12愛知1,824徳島3,103福井6,959
総計54,32470,98183,501
全国72,99494,758113,602
上位6県
の比重(%)
53.747.749.3
上位12県
の比重(%)
74.474.973.5
表5・北海道移住者出身地
(単位戸 道開拓記念館常設展示解説から)
明 治25年26年27年28年29年
青 森6,7246,6777,3066,8715,61333,191
石 川5,8215,2516,5496,4486,21930,288
新 潟4,7334,7144,8265,3784,55224,203
秋 田4,1873,6294,1064,5023,47319,897
富 山2,0192,9703,9444,7674,81018,510
福 井2,4743,5193,7894,0054,04517,832
岩 手2,3422,7312,6252,9312,76113,390
徳 島1,9363,0752,5052,2301,79211,538
香 川1,4381,5731,7943,6782,50410,987
山 形1,5411,8002,0361,8421,8509,069
宮 城9121,1641,4141,4531,3646,307
広 島8101,3491,3748789015,312
兵 庫6321,2071,1181,5616295,147
東 京9181,1711,0681,0158385,010
愛 知4041,1191,4551,2928075,077
鳥 取3367451,1678535323,633
愛 媛7442315829831,0163,556
福 島4366586295974842,804
山 口2597056524804082,504
高 知1012914298338022,456
滋 賀4584184175384312,262
和歌山841234961,0393892,131
三 重641062729714891,902
福 岡951518021861371,371
佐 賀764101585641491,357
神奈川2482453292532001,275
島 根1262432652503821,266
鹿児島2962562273471211,247
熊 本1281414033581831,213
大 阪2242473012171931,182
岐 阜135761542655241,154
茨 城1642302712462171,128
京 都4591751431681551,100
岡 山115299196206151967
長 野173290190168122943
静 岡175231167143179895
大 分3999019796109891
埼 玉104169198185137793
千 葉123136186169161775
奈 良698297274143665
栃 木61134132118158603
山 梨5854126190138566
群 馬6490695463340
長 崎5654605357280
宮 崎7153516780
沖 縄314
総 計42,72849,04755,25959,67150,396257,101
表6・自明治25年至同29年府県別北海道移住者人員

◆商売にからんだ政争

 こうした出身地別の系統に加え、海派、陸派に分かれて小樽の政界は入り乱れた。高橋は板谷と共に委託派とされた。米・海産物委託組合は仲買・仲立・運送も兼ねた花形業者の集まりだった。
 港改修が運河式か、埋立て式かでもめた時は、運河式が渡辺区長・公正会・政友会系。反対が協和会・革新クラブ・民政党系といった図式が描けそうだ。
 明治32年に札幌・函館と同時に小樽も区になる。初代区長選挙に、色内の旅館・雑貨商らが組織した実業協会が区議候補らも立てて運動する。堺町にあった商業会議所で開かれた第1回区会で選ばれた金子元三郎初代区長は山本厚三と同志会をつくる。激烈な動きをして強制解散させられた公民会の流れが実業協会、港改修問題で公民会に反対したのが山田辰雄の協和会。いろいろと市史に詳述されている政争叙述をもとに一覧表にしてみたのが表7。一人の好き嫌いの感情や商売とのかかわりなどから複雑な動きをしている会派、派閥はとても表にできない。しかもこんな解説を聞いたところで前世紀での出来事。今日的な意味はなにもない。

憲政党浅羽一派
公民会
(強制解散)
→実業協会 漁業派 渡辺兵四郎
 明治28 再興青年会 岡崎 謙
 明治34 奥山富作 野口小吉
     佐々木孝養 工藤清作
憲政系
協和会
山田辰之進、43.9港修築で公民会に反対
同志会金子元三郎、山本厚三
政友系
委託派
高橋直治 米・海産物委託組合、仲介・仲買・運送業
板谷宮吉(加賀、福山衆は政治に関わらず)
実業談話会明治31 北海組 色内の雑貨・旅館
  32 公民会
  38 谷 伊六 磯野 進 稲葉林之助
    名取高三郎 小町谷 純 塩野喜作
    寿原重太郎 篠田治七 寺田省帰
  44 解散
政友会系
茶話会
明治44.1 旧公民会色内系委託派 高橋直治
→公正会 大正3.12 板谷宮吉、順助
 公正クラブ 寿原重太郎、外吉
→昭和会 昭和2 板谷順助理事長 森正則
民政系
革新クラブ
大正3.12 同志会 金子元三郎、山本厚三
     協和会 山田辰之進
     再興青年会
表7・政党・派閥図

 高橋は公民会色内系の委託派とされ、実業談話会が推す高野源之助を破り、初の代議士になったのが明治35年。反対派からは、金力にものをいわせた汚れた選挙だったといわれる。小樽に限らず、現代でも多かれ少なかれ選挙につきものの利益誘導がおこなわれたことをあえて否定する必要もない。
 小樽の選挙戦は昭和になっても続く。写真11は昭和2年2月2日投票の衆議院選挙。この時はもと協和会の革新クラブから立候補した山本厚三に対し、旧茶話会の公正会が変わった昭和会から森正則が立った。役場の2階から「小樽革新倶楽部」、「昭和会」と党派名を大書した幟を垂らしている。こうした選挙戦は国政レベルに止まらず、市会議員選挙にまで及んだ。革新倶楽部、昭和会のほかに大和親友会といった党派名に候補者の個人名も出ている=写真12

写真11・昭和2年2月2日
投票の衆院選
写真12・昭和初期の市議選挙。
市役所2階窓から会派のビラを出す。

◆倉庫で駆け引き

 高橋直治商店は朝里と有幌に自前の石造倉庫を所有して、倉庫料の節約と共に手持ち品の秘密保持を図った。大正5年に小豆一俵を5~7円で13万俵買い占め、翌年から翌々年にかけて16~17円で海外に売りさばいた、という話が伝えられる。これだけで15万円に近い儲けになる。この時期の直治が自宅を建てる時、当時の金で「1個10円出すから持って来い」と声をかけて集めた、という粒そろいの大きい丸石で築いた石垣が小樽公園からの嵐山通り沿いに残る。郵船海陸運輸の社宅から高級マンションに変わっていた。
 函館本線の朝里駅を出た札幌行列車の右側の窓から、線路に迫る崖下に細長く建物が続くのが見られた。延べ面積900坪におよぶ石造りの頑丈な倉庫で、事情を知らない人達はなぜ交通不便な漁村に、と不思議がったという。その後も毎年のように道産小豆を買い占めた。人目につかないよう自前の倉庫に貯蔵し、3年は辛抱して小豆相場が動くまで持ちこたえていたそうだ。大正15年の死後は、北洋漁業向けの通過貿易の塩や政府米などの保管に使われていたが、戦後の25年になって石材が空知管内の秩父別農業倉庫に転用された。